ネーポンについて (詳しくはこちらの文章) 書いてる途中。

『詳しくはこちら』の先にあるページ

どうも。こんにちは。こんばんは。このネーポンを復活するために作ったこのブログの管理人、ネーポン田中と言います。

本日まで、このブログは、トップページに、詳しくはこちらとか書いたリンクを置いてるくせに、クリックしてもどこにも飛ばないというという、くそサイトだったのです。

しかし、とうとう本日(2018年12月9日)、詳しくはこちらの先に用意するべきページをこれこのように用意しました。

それが、このページです。

で、今回何について、くわしく書こうかというのかと言うと、幻のジュースと言われたネーポンと、そのネーポンを復活する試みなどについて詳しく書こうと思いますのだ。

そして、この文章を書いているのは、ネーポン田中と言います。

ネーポン田中というのはもちろん本名ではなく、ネーポンが好きな田中という人物の愛称 (ニックネーム)です。(別に誰かに愛されてそう呼ばれているわけでもないけど。)

謎その1 ネーポンとは??

ネーポンとは一体??

ネーポンというのは、Googleで検索してググっていただけるとお分かりになっていただけるとは思うのですが、ネーブルとぽんかんの果汁を使った柑橘系のジュースのことである。

いや、現在では、正式には、果汁100パーセントのもの以外はジュースと呼んではいけないことになっていて、正確にはネーポンは、果汁10パーセントなので、ジュースではなく清涼飲料水と呼ぶのが正しいらしいです。

Wikipediaのネーポンの項目を読めば、詳しく書いているので興味がある方は読んでください。↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/ネーポン

ネーブルと、ポンカンの名称をあわせて考え出された名称がネーポンです。(ネーブルも、ポンカンも、柑橘類の名前です。)

今年 (2018年)、関西限定で放送していただいたネーポンを扱ってくれた番組から、画像でいい感じに説明してるのがあったので、使った。こんくらい使ってもいいっすよね?

今年 (2018年)、関西限定で放送していただいたネーポンを扱ってくれたテレビ番組から。画像でいい感じに説明してるのがあったので使わせていただきました。こんくらい使ってもいいっすよね?

ネーポンとは、神戸にあった清涼飲料水の会社、ツルヤ食料品研究所の創業者、上田豊 (うえだゆたか)さんによって考案された清涼飲料水のことです。

1997年まで神戸のツルヤ食料品研究所で製造されていました、瓶入りの清涼飲料水でした。

瓶入りネーポン200ml入り (Wikipediaより。)

瓶入りネーポン200ml入り (Wikipediaより。)

謎その1のこたえ

ツルヤ食料品研究所という、大手メーカーではない神戸のジュース屋さんが作っていた、ネーブルとポンカンの果汁を使った清涼飲料水、それがネーポンです。

謎その2 1990年代、何故 (なぜ)、ネーポンは、幻の清涼飲料水と呼ばれたり、伝説の清涼飲料水と呼ばれていたのでしょうか?

先ほどかなり簡単に説明させていただきました、ネーブルとポンカンの果汁入りの飲料、ネーポンですが、1990年代にはネーポンは、幻のジュースなどと呼ばれていたのです。

なぜ、ネーポンは幻のジュースや、伝説の清涼飲料水などと呼ばれていたのでしょうか?

その、ネーポンが、伝説だとか、幻だとか言われていた理由を、僕、ネーポン田中がわかる範囲で、簡単に説明させていただきます。

ネーポンが伝説だと言われた1990年代は、どういった時代だったかの時代背景 (お笑い・音楽など、当時の他の伝説的なもの?)とともに、説明させていただこうと思います。

1990年代は、音楽の世界では、今まで売れていたレコードに変わり、CDがバンバン売れるようにっていきます。ミリオンヒット (CDが100万枚以上売れること。)が出まくるような時代になっていきました。(とは言っても今と違って、CD-Rもないですし、パソコンも普及してなかったので、音楽を録音する録音といえば、CDカセットコンポを使ってCDをカセットテープに録音したり、録音できるカセットテープレコーダーをテレビの前に置いて、音楽番組を録音したりしていました。)

1990年、アニメちびまる子ちゃんとともに、B.B.クイーンズのおどるポンポコリンが大ヒット。1990年といえば、平成2年です。平成になったばかりの頃です。1990年代は、ほぼまだ気分は昭和でした。伝説のミュージシャン、尾崎豊さんもまだ生きていました。

1991年 作家の中島らもが、エッセイ集「西方浄土」でネーポンを取り上げる。

1991年、イギリスの伝説のロックバンド、Queenのボーカル、フレディ・マーキュリーが死去。

1991年、兵庫県尼崎出身のお笑いコンビ、ダウンタウンの人気が爆発し、ダウンタウンの人気番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」が始まりました。

同じく1991年、同じく兵庫県尼崎出身の作家、中島らもさんが書いた、西方冗土 (さいほうじょうど)という、大阪を題材にしたエッセイの中で、ネーポンが取り上げられたのが、ネーポンがメディアに出たきっかけでした。(僕も後に購入しました。)

西方冗土 カンサイ帝国の栄光と衰退 (集英社文庫)

ネーポンとはネーブルとポンカンの合成語ですが、この名前が 他にはない魅力となっています。 作家の中島らもさんが、ネーポンに興味を持ったのも、この名前が原因です。

中島らもさんの事務所がある大阪市内の玉造というところに、アジアコーヒ日の出通り店という喫茶店があり、その喫茶店の珍奇な様子と、そこで販売されていたネーポンについて書かれています。

1992年、ロックミュージシャン、尾崎豊が26歳の若さで死去。4万人近くのファンが葬儀に参列。

多分その頃、関西の人気ローカルテレビ番組「探偵ナイトスクープ」に中島らもさんが出演してネーポンが取り上げられたらしい。(僕は実は見てなくて知らなかった。)

1994年、たけしさんまの人気番組、世界超偉人伝説でネーポンが大々的に取り上げられる。

1994年、ミュージシャン、小沢健二 (おざわけんじ)が、スチャダラパーとのコラボ曲「今夜はブギー・バック」などを収録した2ndアルバム「LIFE」を発売。

LIFE

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1994年はダウンタウンの音楽番組、「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」も始まり、ダウンタウンの二人と、小沢健二のトーク面白かったなぁ。

Mr.Children、シャ乱Q、MAX、安室奈美恵、井上陽水、槇原敬之、言い出すときりがないくらいたくさんのミュージシャンとダウンタウンの二人のトークはめっちゃ面白かったのだ。

1994年、ついにネーポンという名前が、テレビを通じて、日本全国に知られるようになりました。

日本テレビ系列で1992年から放送されていた、「たけしさんまの世界超偉人伝説」という人気テレビ番組内でネーポンが取り上げられたのです。

僕も、この番組を見てネーポンを知った一人です。

さすがに、ビートたけし、明石家さんまの番組に取り上げられると、影響力が違います。

アジアコーヒ日の出通り店

アジアコーヒ日の出通り店

映像で見た、ネーポンを販売していたアジアコーヒ日の出通り店は衝撃的でした。

明石家さんまさん、ビートたけしさんが司会で、世界中、日本国内の偉人・奇人・変人なんかを紹介するとても面白い番組でした。

YouTubeで、「超偉人」と検索すると、「たけしさんまの世界超偉人伝説」の動画がネーポンの話以外にも結構観れるのでぜひ見てみてください。

僕は、ノートン皇帝の話なんか結構好きです。様々な人物たちの伝説が語られる、とんでもなく面白いテレビ番組だったと思います。(勉強にもなったし。)

この番組で、ネーポンの人気は爆発。1994年のネーポン初登場から、1996年まで、この番組内でネーポンは取り上げられ続けました。

その後のネーポン

この短い期間、1991年から1996年の間に、ネーポンという謎のジュースが大阪にあるという認識が、日本中の変わったもの好きの人たちの間に広まり、ネーポンは伝説化していきました。

1995年から1996年に放送されたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」が、サブカルチャー好きの人らに支持され人気に。

OPに、ユダヤ教の神秘主義カバラーで使う図形、生命の樹が出てきたりと、まぁサブカル好きにはたまらない感じだったんだと思います。(僕的にはガンダムの方が好きな世代ですが。というか初代ガンダム面白い好き。)

当時も同人誌があり、「新世紀エヴァンゲリオン」とネーポンを掛け合わせたような漫画を描いてる同人誌の漫画作家さんも現れました。

「同人誌 ネーポン」で検索すると、ネーポンを扱った同人誌が出てきます。

1991年から1996年といえば、インターネットはまだ浸透はしていませんでした。

インターネットが今まさに広まろうとしていた時期でした。

1991年から1996年、もしも、その当時にインターネットが普及していれば、ネーポンもすごいことになっていたかも。

しかし、実際には、1995年に、ネーポンを製造していたツルヤ食料品研究所のあった兵庫県では、阪神淡路大震災がおこり、ネーポンの顧客は激減していきます。

1995年に、Windows95が発売され、インターネットが普及するきっかけになっていって、1998年にAppleが、初代iMacを発売して、って感じで、徐々にインターネットが浸透していきました。

当時は、メディアといえば、大手メディアとして、テレビ、ラジオ、雑誌、新聞。そこに、同人誌などのサブカルチャーが加わる程度。

ここで注目するべき点は、ネーポンは、ネーポンの味だとかは一切関係なく、

中島らもさんのエッセイ (文学)

テレビ番組 (娯楽メディア)

同人誌など。

更には群馬県の高崎にあるフリーフォントの作成で有名 (Twitterのロゴのフォントが有名)なグラフィックデザイナーのマニアッカーズデザインさんはネーポンという名前のフォントを作成したり、

花柳ネーポンさんと名乗られる方が歌を歌っておられたりと、、、。

その後も、映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」では、ツルヤ食料品研究所のジュースの瓶と、ネーポンが入っていた木箱が登場。

ドラえもんのスペシャル番組を見たら、ネーポンにそっくりなクーポンって飲み物が出てきたり、

漫画家の浅野いにおさんがなぜかはわからないが、

ネーポンとつぶやいていたりと、

様々な文化的に、なんかフリー素材みたいな感じで、影響を与え続けているのでは。

味が美味しいとかではなく、 (いや、実際には普通に美味しいのだが。)

怪しいジュースだ。謎の清涼飲料水などという意味のわからない理由で人気になったこんな清涼飲料水は、他に類を見ないと思います。これが伝説のジュースと言われる所以 (ゆえん)なのではないでしょうか。

ネーポン復活して販売します。

そんなネーポンは2007年に、ツルヤ食料品研究所が廃業になったことによって、販売されなくなり、本当に幻になってしまいました。

ツルヤでネーポンを作っていたおばちゃん (上田安子さん)と仲良くしている、ぼく、ネーポン田中は、ツルヤのおばちゃんに、今後のネーポンを託されます。

「いつかネーポンを作りなさい。(2007年)」と言われるも、なかなか作れずにいたのですが、(10年もなにもせず・・・。)

2018年、ようやくまじで作れるようになりました。

ネーポンはツルヤが廃業される寸前の後期には、ネーブルとポンカンの果汁ではなく、うんしゅうみかんの果汁なども使ってネーポンを作っていました。

今回復活するのは、ネーブルとポンカンの果汁を使ったネーポンらしさを残しながらも、飲みやすさも追求した、若干ネーブルとポンカン以外の果汁も使用した、2007年頃の後期のネーポンをイメージしたものを販売させていただきます。

試作に試作を重ね、ようやく美味しいと思える、ネーポンらしさと美味しさを追求したネーポンが完成いたしました。

とは言っても、私、ネーポン田中は今は大金持ちではなく、在庫を置いておく場所がないので、今回は水で割って飲む、ネーポン・シロップという形で販売させていただきます。

僕的には、この普通に美味しいと思えるネーポンでは物足りない方のために、2018年後期か、2019年には、ネーブルとポンカンの果汁だけを使ったネーポンも販売させていただきます。

はじめは、クラウドファンディングでお金を集めて、希望者さんだけに販売します。

そのクラウドファンディングのサイトはこちら。←クリックしたらいかにもそのページに行きそうだが、クリックできない。

って書いていこうと予定していましたが、もうクラウドファンディングって人のお金を当てにするのはやめて、自分のお金使って復活することにしました。

2019年の1月中に、このサイト内か、どこかのショッピングカートのサービスを利用するか、ヤフオク!などで販売予定ですので、是非よろしくお願いいたします。

 

 

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2 件のコメント

  • 大阪と兵庫に展開している百貨店の催事担当です。
    百貨店の催事(1週間の期間限定)で販売してみませんか?

    • あ。お金とかいるんですかね。
      結構あんまり儲けがないくらいの値段設定でやってるのでできるのかわからんです。

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